戦国の世、ここ豊後府内は南蛮文化が花開き、
世界にも名を知られる国際都市でした。

西洋文化伝来の地であったここには、
高度な西洋文化を吸収しようと多くの人々が集い、町は活気に満ち溢れていました。

最盛期には九州の過半を手中に収めた大友宗麟の支配下で、
日本で初めての西洋式の病院が開設されるなど南蛮文化を受容し栄えて行きました。

そんな中、聖職者育成と一般教養の教育目的の為、
この地に日本で初めての「大学」が誕生します。

その名も「コレジオ」

人々はこの地で語学をはじめ数学・音楽を学びました。
豊後府内は高度文化を発信する地だったのです。

時は1581年 本能寺の変の1年前。
日本統一よりも、文化文明の発展に力を注いだ我が大分の先人たち。

それから430年

かつての「コレジオ」に程近いこの場所に、「コレジオ大分」が誕生しました。

大分県民の深層に脈々と流れている
「新しいものを取り入れ進化させる力」を想起させ、
他のどこにもない新しい「何か」が生まれる場所。

再び、ここから何かが始まる・・・。
ここに来れば、何かが変わる・・・。

刺激にふれ、子供達の心に夢の火を点ける・・・。
語り合い、アイデアの炎を膨らませる・・・。

そんな場所「コレジオ大分」

大分から新ビジネスを創出する拠点。
そして地方から世界へ新たな文化を発信しよう。